奈良旅 その1平城京西ノ京 令和3年12月11日 [奈良]

●奈良旅 その1平城京西ノ京 令和3年12月11日
世は疫病新株の一方的なニュースで心が乱されつつありますが、心の平静と生き残りの知恵を授かろうと奈良へ一泊二日の巡礼の旅に参りました。
利用したのはJR東海の新幹線を使って一泊二日のずらし旅です。ずらすとは言っても新幹線内は結構な乗車率ではありました。
殆どの方が京都駅で下車され京都観光のようですが、こちらは近鉄線で薬師寺のある西ノ京駅に向かいます。
初日は嘗ての平城京の右京というべき西側の西ノ京方面から歴史を振り返りながら平城宮に参りました。
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【目的山域】
西の京方面
薬師寺-唐招提寺-垂仁天皇陵-平城宮跡歴史公園

【天候 奈良】
晴れ
最高気温16.7℃
最低気温5.6
最大瞬間風速4.9m/se.南南東

*奈良時代
旅を始める前に奈良時代(天平時代とも言われます)をさっとおさらいしてみましょう。
平城京が都だった時代が奈良時代です。
710年    和銅3年        ・第43代元明天皇が都を平城京に遷都 (唐の長安を参考に造られた)
718年    養老2年        ・薬師寺平城京遷都に伴い移転
743年    天平15年    ・第45代聖武天皇、大仏建立の詔を発布
752年    天平勝宝4年    ・東大寺大仏が完成
754年    天平勝宝6年    ・唐僧鑑真が来日して律宗を伝える。
759年    天平宝字3年    ・鑑真、奈良に唐招提寺を建立する
794年    延暦13年    ・第50代桓武天皇によって平安京に都が遷される

*薬師寺
薬師寺さんは、第40代天武天皇の発願により飛鳥の藤原京(奈良県橿原市)の地に造営が開始され、平城京遷都後に現在地の西ノ京に移転したものです。

01yakuPC111820small.jpg国宝の東塔。西塔も復元されています

01yakuPC111015small.jpg水煙
法相宗大本山の薬師寺さんには白鳳時代からの薬師三尊像がいらっしゃいます。
藥師如来さんは人びとの病気や災難を除き、健康と幸福を与えてくださる仏様ですので疫病退散を祈りました。
また、薬師如来さんの左右に立つ日光菩薩さん、月光菩薩さんは、太陽や月の光が差別なく照らすように人びとを見守る仏様で流れるような姿勢が美しい。
01yakuPC111805small.jpg金堂の中に薬師三尊がいらっしゃいます

01yakuPC111042small.jpg薬師寺のハクセキレイ
*薬師寺玄奘三蔵院伽藍
平成3年(1991年)に新築された真新しい伽藍が薬師寺の北にあります。
玄奘三蔵は、インドに渡り仏教研究を行い中国にその成果や多数の経典を持ち帰り、東アジアの仏教文化の発展に大きな役割を果たした人物として知られています。
その玄奘の弟子にあたる慈恩大師基と呼ばれる僧侶が開基した法相宗は薬師寺と興福寺の宗派となっています。
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玄奘塔。堂内には玄奘三蔵の木像及び遺骨がお祀りされています。
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大唐西域壁画殿では故平山郁夫画伯の巨大なシルクロード壁画も展示されています。

*唐招提寺に至る
薬師寺さんから徒歩10分位で唐招提寺さんに至ります。
お店は数軒しかありませんが、懐かしい昭和な感じがします。
01yakuPC111854small.jpg薬師寺さんの鬼瓦

02touPC110004small.jpgここは昭和な感じですね

02touPC110005small.jpg吊るし柿も大根も民芸品

*唐招提寺
世界遺産でもある唐招提寺さんは鑑真和上の私寺として建立されました。
鑑真和上は仏教者に戒律を授ける「導師」「伝戒の師」として日本に招請されましたが、当時の日本では正式の授戒の制度は整備されておらず、授戒資格のある僧も不足していた状況があったと言う話を聞きました。
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02touPC110016small.jpg唐招提寺の瓦

02touPC111050small.jpg鑑真和上の御身代わり像が鎮座します

*垂仁天皇陵
唐招提寺から歩いて10分くらいで、5世紀初めに造立された第11代垂仁(すいにん)天皇陵に至ります。
平城京内に位置し、古墳としての大きさは墳丘長227mという大型の前方後円墳です。
第10代崇神天皇からヤマト王権を引き継いだ垂仁天皇は殉死の風習を排除し、その代わりに埴輪を使うことで殉死する者を減らしたと言います。
伊勢神宮に天照大神を祀ったのもこの時代です。
03suininPC110031small.jpg宮内庁管轄です

03suininPC110034small.jpg左側が前方墳、右側が後円墳部分です

03suininPC110039small.jpg唐招提寺さんは嘗てここまであった

残念だったのは、お濠の東側に浮かんでいたゴミ類。西風で集まったと思いますが、タイヤもあったりして民の心が荒みつつあるなと思ったり。
近くに近鉄尼ヶ辻駅があり、大和西大寺駅に向かいます。

*平城宮跡歴史公園
近鉄西大寺駅から奈良バスで大極殿前に到着。入場時間16時ギリギリでした。大極殿の北側に古墳群がありますが、廻る時間が無くパス。
聖武天皇は大極殿の玉座から、民のかまどから煙が上がっていないのをご覧になって租税免除の優遇税制をしたのだろうか?と思いを馳せたのです。
04heijyouPC110047small.jpg夕日を浴びる大極殿

04heijyouPC110053small.jpg南門は追加中
さて、近鉄奈良線が平城宮内に東西に走り、朱雀門北の踏切があって夕方5時に閉鎖される話を係の方から聞いて、朱雀門に急ぎます。

*ダイヤモンド生駒山?
夕日の沈む先は生駒山でしょうか?ススキの穂先が輝いていました。
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04heijyouPC111055small.jpg平城宮内を近鉄奈良線が走る

04heiyouPC111065small.jpgこの朱雀門北踏切には閉鎖時間があった

*朱雀門広場
夕暮れ過ぎに朱雀門に到着しましたが、既に閉門。横にあるくぐり戸から退出出来ました。

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遣唐使船もあり、当時を忍ばせます。

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夜になり、どうやって宿に行くか悩みましたが、これも旅のハプニングでしょう。

お供のカメラは
EM-1 14-42mm, 50-150mm
TG-5
でした。

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追記
聖武天皇の頃は、大地震、病気、旱魃、飢饉、毎年のように災害が起き多くの人が死んでいました。
しかし、私の政治が悪いからだと災害や民の苦しみを自分の責任と反省する心がありました。
今の為政者及びメディアにもその心が必要ですね。
コロナはローカルな風邪と同じ位になった今、自然免疫を無くすだけのブースター接種は必要でしょうか?

煽って5歳の子供に打って、子供が目ん玉ひんむいてぶっ倒れても良いんですか?


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