まったり香香の後は、上野公園歴史散策 H30/8/26 [上野恩賜公園]

●まったり香香の後は、上野公園歴史散策 H30/8/26 sun.
平成最後の8月の日曜、上野動物園の開園前の9時に入場待ちの列に並びます。
香香に会った後は、残暑が堪える日ですけども、上野公園の歴史散策としました。上野のお山には歴史がぎゅっと詰まっているんです。

【目的山域】
上野公園

【香香待ち時間】
80分

【天候】
晴れ
東京最高気温(℃) 36.0     14:18

*香香と真真
真真は笹を食べて営業中でしたが、香香は台の上でゴローン。昼寝が基本型ですから、良いんですけどね。
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大熊猫の後は、上野公園の散策と致しました。

*旧寛永寺五重塔
上野動物園内に五重塔が建っております。考えて見れば、動物園内に五重塔って不思議です。

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元をたどれば動物園に隣接する上野東照宮の五重塔でしたが、明治の神仏分離で寛永寺に帰属するものとなりました。五重塔は仏舎利を祀るための仏塔ですから。
戦後東京都に移管され、現在は動物園の管理下になったとの事。

*上野東照宮
動物園に隣接している上野東照宮に参ります。東照宮の歴史はホームページによれば、
"1616年(元和2年)2月4日、天海僧正と藤堂高虎は危篤の徳川家康公の枕元に呼ばれ、三人一つ処に末永く魂鎮まるところを作って欲しいと遺言されました。 天海僧正は藤堂高虎らの屋敷地であった今の上野公園の土地を拝領し、東叡山寛永寺を開山。境内には多くの伽藍や子院が建立されました。1627年(寛永4年)その一つとして創建した神社「東照社」が上野東照宮の始まりです。 1646年(正保3年)には朝廷より正式に宮号を授けられ「東照宮」となりました。"
とあります。寛永寺の伽藍の一つだったのですね。
明治の神仏分離で神社として独立に至りました。
uenoP8261197small.jpg狛犬と社殿

uenoP8261200small.jpg唐門。ゴージャス!


*摺鉢山(すりばちやま)
標高24mの上野のお山に登山したのですが、なんと!それは前方後円墳だった。

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ウィキペディアによれば、
"かつてこの古墳を中心に古墳群(桜雲台古墳、蛇塚古墳、表慶館古墳)が形成されていたが、動物園や美術館、博物館などの建設によって、ほかの古墳はすべて破壊された。"
とあります。古墳群、残してほしかったねぇ。

*寛永寺
上野公園にある伽藍の清水観音堂に参りました。嘗ては上野公園全域そして鶯谷駅方面まで寛永寺の境内だったのです。

uenoP8261216small.jpg清水観音堂。京都の清水寺を模した


1868年(慶応4年)幕末維新の上野戦争で旧幕府派の彰義隊は寛永寺に本営を設け新政府軍と戦った。戦闘の際生じた火災で、寛永寺は根本中堂など主要な伽藍を焼失、壊滅的な打撃を受けたそうであります。

*西郷どんの銅像と彰義隊の墓
西郷隆盛の銅像のある場所は、上野戦争の激戦地跡の山王台。彰義隊の砲陣地だった所で西郷隆盛率いる薩摩藩士と激戦があった所です。
現在では西郷どんの銅像が有名となっていますけれども、後ろには彰義隊の墓があります。彰義隊の墓が建立されたのが1875年(明治8年)、西郷さんの銅像が建てられたのは1898(明治31)年ですから、彰義隊の墓が先にあるのですね。

uenoP8261222small.jpg彰義隊の墓の前に西郷さんの銅像が建立された


着流し姿の西郷さんの格好ですが、西郷さんは軍人ですから銅像は軍服姿が本筋とは思います。しかし、彰義隊の墓と前後するため彰義隊士の鎮魂の意味合いを兼ねてあの着流し姿の銅像となったのでしょう。


徳川時代から明治維新の歴史をちょっとだけ仕入れて上野公園を歩きましたが、新しい発見があり有意義な散策となりました。

お供のカメラは
E-5 50-200mm SWD
TG-5
でした。


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